みそら野管理事務所

先輩の声 vol.8 同級生3人で別荘ライフを楽しむ仲間にインタビュー

ゴールデンウィーク前半の雨の日、3人の別荘が並ぶちょうど真ん中に建つYS様邸に

皆さんお集りいただきました。

3人は大学の同級生でスキー部仲間。

まず最初にNH様、続いてYS様、そして丁度HS様がリタイヤした際、タイミング良く隣に売り土地が出て別荘を建てられました。

 

★白馬との出会いは?

NH様―安曇野学者村の方と知り合い、スキーをしに白馬に来たのが最初。

 

★安曇野ではなくなぜ白馬みそら野で別荘?

NH様―とにかくスキー!ここ(ひら川通り)は南側でスキー場が目の前に見え、雪の量は全く気にならなかったし、逆に雪が多くて嬉しかった。スキーをしながら2月~3月頃売り物件を見に来て、その後大学卒業30周年パーティーでYS様に白馬で別荘を建てる話をしたところ意気投合。平成147月にお二人そろって土地購入。翌平成158月に別荘が完成してから現在まで14年。HS様は現在2年目。

 

★みそら野別荘地での過ごし方は?

それぞれの家族や学生時代の友人を呼んで、スキー・山・トレッキング・イワナ釣り。そして毎年恒例ホタルの会(いわゆる飲み会)を開催して、たくさんの友人や家族が集まる。

スキーを楽しむことがベースにあり、そこから季節を通しての別荘ライフの充実、温泉や蕎麦を楽しんだり、海も近いので足を延ばして日本海(糸魚川や能生)で海の幸を味わいに行くことも。

 

別荘滞在中は白馬のレストランを楽しんで、奥様は何もせずゆっくりされるのが条件だったり、また飲食店が少し遠いので別荘では普段できない料理を楽しんだり、皆さんそれぞれの過ごし方があるようです。

今後の予定ではピザ窯を作ろうか?薪割合宿をしようか?なんて皆さんで楽しそうにお話しされていました。

 

★最後にこれからみそら野別荘地、白馬に望むことは?

リタイヤ組が楽しめるエリアの増加、交通の利便性が良くなること、今の自然を残しつつログハウスが建つ景観などがリピーターとして来てもらえる白馬になって行くのでは。




2017-05-01

先輩の声 vol.7 (S.H氏編)白馬みそら野と私達

白馬村と私の出会いは、60数年前、私が学生の頃所属していた学生の絵画クラブ「鞍馬画会」のスケッチ旅行でした。当時は民家に宿泊させていただき、運動靴で白馬岳を登山、山頂の山小屋で一泊、翌日雪渓をツルツル滑りながら下山いたしました。不思議な事にそれから10年近く過ぎたある日、白馬村の山林が村の開発発展のためにとの目的で、大阪にて販売されている事を知りました。

その頃の社会情勢では環境問題等は無視され、大阪の自然環境は最悪でした。京都で生まれ育った私にとってその環境は恐ろしく感じられ、秋の紅葉の美しさも大阪では味わう事はできなかったのです。長男が幼い頃、「大阪のもみじは秋になると茶色になる」と言った50年ほど前の言葉が忘れられません。子供達に自然の美しさを見せ、実際に経験させたいと願い、みそら野別荘地を購入することといたしました。

今では、みそら野と大阪を季節ごとに行き来することが私達家族の習慣となり、数十年が過ぎまた。その間

の盛り沢山の思い出は、私達の脳裏に積み重なるように残され、三世代にわたりみそら野を愛し続けることとなりました。

 中でも大雪の体験、57豪雪でした。当時は除雪設備が充分でなかったため148号線は通行止め、大糸線は不通となり、大規模のスーパー等がなかった白馬村のお店には、パンや日常の食品棚は空の状態になり、みそら野別荘地内では高圧線のある位置から奥へは歩いて行かねばなりませんでした。深い雪に覆われた側溝に、はまりこんでしまった車を引き出すため、村人や居合わせた人々が文字通り力を合わせて助け合ったことも家族の思い出の一つとなっています。それ以来、除雪設備が完備され、すばらしく機能するようになりました。

 又、私にとって二度と経験することの出来ない思い出は、パラリンピックで通訳としてお手伝いさせていただいたことでした。日本が初めてという外国の方が殆どでした。農協さんの出店で「ティーが欲しいと言ったらこんな緑色のティーをくれたよ」と困っていたアメリカ人家族には、日本のお茶と紅茶の違いを説明したり、カナダからのリポーターらしき男性が、「カナダから今朝着いたんだ。持って来たチーズでパンを食べたいが美味しいパンはないか?」と聞かれ、村の施設で子供達が焼いた自然発酵のパンを勧めたりして、互いに友好を深め楽しむことができました。最近では、オーストラリヤやアメリカからの人達も多く、彼らが平和な白馬村の景色をとても愛していることを語ってくれます。

 又、私にとって孫達の成長と共に白馬でスキーを楽しむ事ができたという素晴らしい経験は大切な宝物となりました。よちよち歩きの孫を前に抱え、なだらかな雪のスロープを滑り、スキーの楽しさと自然の中でのスポーツを体感させたことが現在につながり、有難い思い出となりました。

 みそら野での楽しみはスポーツのみでなく、みそら野の森の中にある我が家で聞くピアノ演奏に心がほぐされるのです。家族が何気なく弾いてくれるピアノの音色は、私の耳の奥深くしっとりと響いてくるのです。

すっかり成長し大人になった孫達も白馬みそら野のファンとなり、大阪白馬間の長距離ドライブを助けてくれるようになり、便利になった高速道路の道中を充分楽しみながら往復いたしております。

 白銀の世界、アルプスの山々が描くシャープな稜線、木々がエメラルドグリーンに輝く新緑、高山植物が咲き乱れる夏、錦絵となる秋、いつも私達をリフレッシュしてくれる白馬村の自然です。

 都会の汚染された空気の中で暮らしている私達にとって、白馬の空気は美味しく、一呼吸する度に体内が洗浄されるかのように感じるのです。白馬みそら野での生活を存分に楽しんでいる私達三世代の家族です。これからも、白馬みそら野の贅沢な自然を一日でも多く楽しめることを願いつつペンを置くことといたします。

                                         平成2810

2016-10-31

先輩の声 vol.6 (Y.Y氏編)みそら野別荘地と私

先輩の声 vol.6(Y.Y氏編)みそら野別荘地と私


19728, 大阪YMCA関係の、ボランテイアーグループがみそらの別荘地のT山荘で一週間、合宿をしました。その時、自然の中の別荘地がとても気に入り、一週間後に、母親と再訪。母親も別荘地の道端に咲き乱れている女郎花や、道へ飛び出してくる兎など、一瞬にして自然の雰囲気が気に入り、土地の購入に賛成してくれ、管理事務所ですぐ手続きをしました。秋には、別荘地内での、モデルハウスの展示会があり、大阪からバスの往復、白馬東急ホテル宿泊の招待旅行に参加、もう次の年の春、197383日には、10畳一間の小さいコモレビ荘が完成、連休の度に友人と滞在。管理事務所の池田さんからは 「一番小さいのに、一番良く来る!」といわれるほど、独身貴族をたのしみました。その後、遅ればせなら、結婚、2度の増築など、みそらのを初めて訪れて以来、42年がたちました。

 

340年前は、道路事情も今と違い、車の能力も今ほどではなく、雪道で立ち往生している車を他の車から降りて来て、助け合うシーンも良くみかけ、白馬の人たちは皆、助け合って生きているのだと実感したものでした。            

一番印象に残っているのは、白馬での冬季オリンピックで2週間、ジャスコで、“Ask me in English”と言う札を胸につけて、サービスカウンターや売り場で、通訳の仕事をしたことです。各国の選手が買い物に来ましたが、中でもロシアの選手団の賄いをしていたらしい女性が頻繁に買い物に来ていたのが印象に残っています。仕事の合間には、ジャンプの原田、舟木選手、ノルデイックの萩原選手の試合も目の当たりに見ることができました。

 

 夫もスキーが好きなので、近頃は私より夫の方が、白馬へ来る日程を決めるのも、積極的、夫の友人もたくさん、滞在されるようになり、池田さんが見られたら、多分「前よりもにぎやか!」といわれるかもしれないほど、シニアー生活を楽しんでいます。

 

このごろはみそらの別荘地での近所づきあいもできて、Mさん、Kさんや、Tさんが来ておられるか、チェックして、テニスや、スキー,マレットゴルフにさそいあったり、うまい物めぐりに同行したり、情報交換をしあったり、 、 、またひょんなことから、管理事務所のKさん家族と親しくなったり、人の広がりをたのしんでいます。それにしても当時、何の迷いもなく、みそらの別荘地を独身女性が購入し、以来、これほど楽しい、心温かい気持ちを味わえるのは、息を飲むような白馬三山の美しさや、親切な白馬の人が原因なのでしょうか?




2014-07-12

先輩の声vol.5(カメ山荘住人編)

先輩の声vol.5(カメ山荘住人編)2010/03/08
始めまして。カメ山荘住人です。
この度みそら野管理事務所より、購入から建築・別荘ライフについて、お聞かせ願いたいとのお話があり、未熟者ではありますが、簡単にご紹介したいと思います。

”購入から建築”
きっかけは、友人から『遊びを兼ねての別荘地の見学にハマっているけど楽しいよ。』と聞かされ、ある時一緒に連れていってもらったのが始まりです。
行ってみたら楽しくて、もし自分が購入するなら『家族みんなスキーが趣味なので白馬が良いね。』という事になり、その友人と平成18年の夏に白馬に行き周辺の別荘地を幾つか見学し、その中でみそら野が気に入りました。その後、若い時の夢が思い出され急に購入意欲が湧き、夫婦で10月に再び白馬へ行き物件を見て回りましたが、やっぱりみそら野が気に入り、思い切って11月に土地を購入することになりました。その際、みそら野管理事務所の人達からの『建物は何年後かに・・・と思っていると建てそびれてしまう場合も多いので別荘を建てるのなら早い方が良いと思いますよ。』とのアドバイスもあり、土地を購入したからにはすぐに建物が欲しい気持ちが強くなり建築を決断しました。

今度はどこのログハウスメーカーに依頼したらよいかわからないので、ログハウス雑誌を購入し、休日の度にログハウスの展示見学をして、最終的に二社のログハウスに絞りました。今のログハウスメーカーに決めたのは、実績があり、会社が代官山にあるため打ち合わせが近くて便利で長野市にも会社があるということを聞き、それが決め手でした。
その間、色々と大変なこともありましたが、楽しいひと時でした。
着工は平成19年5月で、完成は10月末。丁度土地購入を決めてから1年で夢が叶いました。

”別荘ライフ”
<春> 生まれて初めて山菜採りに行き、ふきのとう・タラの芽を採り、天ぷらにして食べました。すごく美味しかったです。山菜採りに嵌りそうです。

<夏> 近くの河原でBBQ。定番ですが楽しいです。小さいお子様が一緒なら平川がオススメで、水深が浅いので安心です。
8月の白馬駅前広場でのお祭りの時のよさこい踊りに感動しました。
来年は、富山県&新潟県の海水浴場で、お気に入りを見つけたいです。

<秋> なんと言っても紅葉狩り。近場で栂池自然園・大町ダムから高瀬ダム・五竜、どこも綺麗で毎年楽しみにしています。

<冬> 勿論大好きなスキーです。白馬は雪質も良く景色も最高です。毎年、冬のシーズンは、息子の友人達も勢揃いで遊びに来て喜んでいます。初心者には、栂池スキー場がオススメ、傾斜がなだらかで広いゲレンデです。

<オールシーズン>
小川村のおやき村:囲炉裏で焼きたてのおやき!とても美味しいです。
中条村:野菜直売所によく買い物に行きます。新鮮で美味しいです。
白馬八方温泉・塩の道温泉:来る度に必ず入りに行っています。特にうちの家族は塩の道温泉が好きです。お肌ツルツルです。

<お気に入り絶景スポット>
●白馬大橋・大出のつり橋・小谷村眺望の里からの景色素敵です。
●遠方で飛騨高山・鬼無里の奥裾花山岳公園の水芭蕉・黒部ダムなど。

<最後に・・・>別荘もまだやっと3年目に入ったばかりですが、まだまだ色々な楽しみ方や良いところが沢山あると思います。白馬を拠点に幅を広げて行きたいです。今は月に1度訪れるようにしていますが、定年後は時間もあるので、白馬で時間を活かした過ごし方(例:陶芸・石窯作りなど)をしたいと思っています。

(ファミリーより一言)
*孫  白馬のおうち行きたいなー☆
*娘  スキーが出来て幸せです。
*息子 友人達と楽しませてもらっています。カメ山荘に感謝感激。
*母  白馬に居るだけで心が落ち着きます。
*父  無理をして購入して、今は本当に良かったと思っています。

2010-03-08

先輩の声vol.4(T.E氏編) 義父の別荘にて

先輩の声vol.4(T.E氏編) 義父の別荘にて2010/03/08
*今回の記事を書いて頂いた”先輩”はスウェーデンの方で、みそら野で子供時代を過ごした奥様によって日本語に訳して頂きました。

皆さんこんにちは、T.Eと申します。2008年に妻と結婚し、現在スウェーデンのストックホルム在住です。妻が子供時代から、家族と度々過ごした白馬(みそら野別荘)を、一度訪れたいと思っていました。

2009年11月上旬、念願だった白馬行きが実現しました。まだ寝ぼけ眼のまま、名古屋から義父が運転する三菱パジェロに乗り込みましたが、高速入り口に着く頃には夢の中でした。
数時間の眠りから覚めたかと思うと、名古屋とは別世界の風景に驚きました。あたり一面が霧に包まれ、紅葉が始まって色づいた山々、西方の山の頂きにはうっすらと雪が積もっていました。

高速を下りてすぐのレストランでパンケーキなどの朝食を済ませると、再びパジェロは白馬へ向かって走り出しました。皆が言う一般的な白馬での楽しみは、スキーや山登り。それに加えてうちの家族は皆、パラグライダーを経験したようです。。。
無事白馬みそら野の山荘に着くと同時に、再び睡魔がやってきて、澄んだ山の空気を心地よく感じながら、少し休みました。

は新しい場所を訪れると、自分の知っている場所と重ね合わせてみるものだと思いますが、白馬は私が子供時代に過ごしたサマーハウスのある、スウェーデンの村に良く似ていて、すぐに我が家のように感じました。

のスウェーデンの家族はかつて、スウェーデン中央部のダーナラ地方にサマーハウスを持っていました。きっとダーナラ馬やクロスカントリーレースの開催地としてご存知の方もいらっしゃる事でしょう。ダーナラ地方は夏は適度に暑く、冬は寒さが厳しく雪も多いところです。冬の気温はマイナス30℃になる事も珍しくなく、よく日本の友人には『オーロラを見たことある?』と聞かれます。

きっと白馬でオーロラは見えないと思いますが、代わりにゴンドラに乗る事にしました。残念ながらシーズンオフで運行していなかったので、お腹の空き具合に任せてプランを変え、パジェロが向かった先は近くのお蕎麦屋『林檎舎』さんです。とても美味しい『蕎麦三昧』をご馳走になり、大満足でした!

小雨の中、みそら野山荘付近を少し散策しました。いくつかのお店やレストランはシーズンオフでお休みでしたが、私なりにシーズン中の様子を想像しながら眺めてみました。最も興味深かったのは、魅力的で面白い形の建築デザインです。こんなに個性的な山荘の数々を見た事がなく、サマーハウスのあったスウェーデンのダーナラ地方には見られない光景でした。

夜はラネージュ東館にて、ヨーロッパスタイルでハイクラスのコース料理を頂きました。従業員の皆さんからは暖かいおもてなしを受けた上、お料理の美味しさにさらに嬉しくなりました。ヨーロッパの伝統的なスタイルを守りながらも、白馬らしい雰囲気であり、白馬近郊の食材を上手に取り入れていると感じました。

あっという間の一泊二日の短い滞在でしたが、白馬がどんな場所かを垣間見る事ができました。次回はもう少しゆったりと白馬を満喫できる事を楽しみにしています。スウェーデンからもう少し近かったら、もっと嬉しいのですけれど・・・

2010-03-08

先輩の声vol.3(Y.K氏編)エンジョイ別荘ライフ in白馬

先輩の声vol.3(Y.K氏編)エンジョイ別荘ライフ in白馬2009/08/12
東京から片道300kmの白馬に、この25年間で何回通ったことだろう。年に10回以上は訪れているので、おそらく300回以上は白馬に来ています。

25年前、別荘を建てた頃の白馬はまだバブルの少し前でとても静かで、冬は八方や五竜のスキー場で幼い2人の娘たちと随分スキーを楽しみました。バブルの頃は正月ともなれば、エコーランドの通りは観光客やスキー客で道いっぱいに人が溢れて、今考えるとあの人達はどこに行ってしまったのだろうか思えるほどでした。もうつぶれてしまいましたが、かつて別荘の近くにあったお土産やの「Pink on Pink」では正月3が日で売上が200万円あったと聞いていました。

白馬に別荘を建てたのは、義父の持っていた土地を売ろうと思い、はじめて「みそら野」に来てみると、スキー場は近いし雰囲気も抜群であり、家族も全員気に入り何とか山荘風な家を建てました。
しかしその当時からログハウスに憧れており、昨年「みそら野」の中で別の土地を購入し、やっとログハウスを建てることが出来ました。昨年、私は還暦を過ぎましたが、現役を引退したら是非白馬で暮らしたいと考えています。

白馬はどの季節に来ても、その季節ごとの楽しみがあります
は何と言ってもウィンタースポーツのスキー、スノーボードが楽しめますが、寒い時の温泉はまた格別に気持ちが良いものです。
温泉といえば、冬は行けませんが蓮華温泉の山の上の露天風呂はこれまた格別です。
春から初夏は山菜取りに始まり、目にも鮮やかな新緑へと衣替えの季節です。
もう1つは3月から渓流釣りが解禁になり、ヤマメ・イワナ釣りを楽しめます。渓流釣りの本流は姫川ですが、白馬では数年前までは名も無い用水路のような川で、ヤマメやイワナが面白いように釣れました。(数年前、そのことが雑誌に載ってからダメになりました。)

は涼しく、朝夕はサマーセーターが必要です。そのような気持ちの良い夕べに、庭でバーベキューをしながら飲むビールは、都会で飲むビールと一味も二味も違います。

は落葉と紅葉。他の季節と全く違う顔を見せてくれます。紅葉は栂池のロープウェイに乗って自然公園が何と言ってもすばらしい別天地です。黄色、オレンジ色、赤色、それに落葉しない木々の緑色が全山モザイクのように美しいです。

四季折々、白馬は常に自然を感じられる良いところですが、ひょっとすると月に1、2回訪れる別荘生活だから良いところばかり感じてしまうのかも知れません。

では次に25年間でこれまで苦労したこともご披露しましょう。
白馬の冬の豪雪は時として想像以上のこともあります。夜、東京を発って深夜に白馬に着いた時、雪がほとんど屋根の庇ぐらいまで積もっており、車に積んでいったスコップで玄関のドアまで雪を堀り出し、家の中に入るまでに何時間もかかったこともあります。数年おきぐらいにそのような大雪の年があります。
また、そのような大雪の年に天窓に降り積もった雪の圧力で、ガラスが突然割れて家の中に降ってきたこともあります。
また、事前に管理事務所に駐車スペースの除雪をお願いしておけばよいのですが、急に思い立って白馬に行くと、車を止めるための雪掻きはとても辛い作業です。
雪道の運転も、今はスタットレスタイヤなので苦労はいりませんが、昔は白馬村に近づくと必ずタイヤチェーンをつけなければなりませんでした。それらの作業は男の仕事で、車中で出来上がりを待っている家内や娘たちをどれほど恨めしく思ったか知れません。
冬の大変さは雪だけではなく、帰るときの水抜きも神経を使います。次に来た時に残り水がカチカチに凍って、全く水が使えないということが何度もありました。氷が解けるまで使えないぐらいならまだ良い方で、パイプが破裂してしまうこともあります。
いずれにしても白馬でのこれまでの失敗や大変さは、ほとんど冬の雪と寒さが原因で、そのことを除けば、四季折々快適な別荘ライフを楽しめるところが「白馬」です。

以上

2009-08-12

先輩の声vol.2(H.S氏編)白馬に魅せられて

先輩の声vol.2(H.S氏編)白馬に魅せられて  2007/05/14
が白馬に魅せられてから30年になろうとしています。白馬と関わりを持つきっかけは,昭和53年5月のゴールデンウィーク明け,みそら野にある義兄の別荘を訪れたことでした。
時,思い出に残っているのは,エコーランド大通り界隈の牧歌的な雰囲気の漂う風景です。シェークスピアホテルの場所に「白馬文庫」という名のカフェテラスがありました。テラスの芝生と白樺が,五月晴れの空に残雪の山と重なった風景は今でも脳裏に焼き付いています。それは異国に来たような気分にさせてくれました。別荘地内にはまだ少し雪が残っていて,八方ではスキーをしていました。夜は,まだ火が恋しくなる気候でした。
馬文庫の奥にはプールがありました。真夏でも今より別荘の水道水が大変冷たかったので,プールの水もさぞや冷たかったと思います。

在は,ロータリーの角に「聖白馬教会」が建っていますが,当時はアンノン雑誌に特集されるなど,白馬の宿のイメージを変えたパイオニア的な「プチホテルベルプレ」がメルヘンチックな佇まいで林の中に建っていました。そういえばこのホテルの中にもプールがありました。

別荘土地購入 
初に訪れた時の強烈な印象から,私も何時か白馬に別荘を持ちたいと思い,既に販売が終了していた第三次の一角を昭和54年に購入しました。蛇足ながら今の不動産の相場が当時の購入価格に限りなく近づいています。 

馬に土地を購入したこともあって,一層,白馬に対する思いが募り,それからというもの毎年のように訪れることになりました。
夏休みの家族旅行は恒例となり,幼い子供を引き連れ,八方池と大雪渓白馬尻へ連続してトレッキング,糸魚川へ海水浴と出掛け,欲張った日程を過ごした記憶があります。また,天候に恵まれなかったときは,松本市と大町の博物館と資料館巡りにと時間を割きました。

家族をグリーンスポーツの森などで過ごしてもらい,私は夢であった白馬岳山頂に登りました。天候にも恵まれ,下りの稜線から白馬大池がとても美しく見え感激しました。しかし,栂池高原までの岩場の下りには難儀をした覚えがあります。もう一度挑戦したいのですが,あの下りの辛さを思うと二の足を踏みます。

バブル時代
ブル期のお盆の時期,エコーランド大通りをロータリーまで通行するのに,あまりに人通りが激しいので往生したことがありました。今から考えると隔世の感があります。翌年,同じ時期に人通りの激減にびっくりして,乗り合わせたタクシーの運転手さんに聞いた覚えがあります。運転手さんも「どうしたんでしょうね?若い人は海外でも行ったのかね」と不思議がっていました。今にして思えば,バブル崩壊の予兆だったのかも知れません。

バブル期の話としてこんなこともありました。私の所有している土地を欲しがっている人がいるので譲って欲しい,ついては代替地を用意するから見てくれないかと,わざわざ東京の自宅まで白馬村の不動産屋の方が尋ねてきました。
当時手放して,今改めて購入すれば差益が生じたかもしれません。

この頃,長野オリンピック開催が決定し,「白馬」の名もメジャーになりました。オリンピック開催の経済効果も空しく,道路は多少便利になったものの一過性のお祭りで終わってしまったようです。

別荘建築
リンピックも終わった翌1999年,いよいよ夢だった別荘建築へ腰を上げました。自分の年齢を考慮すると別荘ライフを楽しむには,ラストチャンスと一大決心をしました。
何しろ土地購入から20年も経ってからのことですから,この間は,専ら建てるとすればどんな家が良いかに思案していました。いろんな建築工法を見て回り研究しました。在来工法から各種のログハウスまで,名鉄別荘地のログハウスに体験宿泊もしました。結局,マシンカットのログハウスに決めましたが,決めるまでの間は非常に充実した毎日でした。

建築中には何度か白馬に足を運びました。まだ,東京からの直通バスが無かったので,バスで松本へ,松本から糸魚川線にと乗り継ぎ,ローカルな景色を眺めながら旅をしたこともありました。

別荘ライフ
荘が完成してから今年で8年目になりました。おかげさまで別荘ライフを堪能しています。冬の寒さを心配しましたが,東京の家よりも暖かく,毎年,正月に来ると東京に帰りたくありません。昨年は20数年振りの大雪で,屋根から落ちた雪で,駐車してあった車が道路に半分押し出される被害に遭い,自然の怖さも体験しました。

別荘ができてから日曜大工に精を出すようになりました。建築資材が残っているので,材料を見て次は何を作ろうかと思いを巡らせています。


今では白馬が友人達と交流の場になり春夏秋冬楽しんでいます。そんなわけで年間,20日から25日宿泊しています。今は第二の古里です。団塊世代ですからますます利用する機会が増えるものと思っています。

2007-05-14

先輩の声vol.1(N.K氏編)

先輩の声vol.1(N.K氏編)2007/03/13
別荘ライフ《日常性の打破~思考において、行動において》
そら野の山荘をベースにして最近の生活を皆さんの参考にと報告します。みそら野に山荘を作って約10年になります。サラリーマン定年後6年生で、過っての仲間、新しい仲間との遊びの基地になています。私の日常生活の場は名古屋。名古屋に来るまでは、湘南の海に育ち学生時代を神奈川、東京に過ごした関係で若いときからの仲間の多くが東京近辺にいます。

古屋、東京から共通の仲間が集まる場には、同じような距離なので白馬は格好の場になっています。

もさることながら山荘では家族が同席することが無いので、皆遠慮なく遊びにきてくれ、恵まれた自然環境の中で、日常性を離れた思考、行動を取るよい場になっています。来る人も楽しんでいます。

の秋の活動を丁度良い時期だった紅葉探索に絡めて以下に具体的に紹介します。

[2006年秋の紅葉探索]
白馬 何時の時期も良いですが、私には紅葉の頃が気に入っている時期のひとつです。10月中旬(13~24日)の行動を日記風に、紅葉の見頃報告と併せ紹介します。

13~14日/名古屋から白馬への移動、山荘の手入れ
15日/松代の畑仕事。畑は、山芋を主に栽培している農家が高齢化で縮小した畑を借りて趣味でやっています。白馬から50kmありますが、東京・名古屋と違って1時間で移動できますので気になりません。長野(松代)までのドライブも結構楽しめます。
16日/栂池自然園までの紅葉狩り。普段はゴンドラを利用しているが徒歩で往復登山。登り2時間、下り1時間半。ゴンドラから見下ろす紅黄葉とはまた違った景観を堪能してきました。
17日/唐松岳登山。黒菱平まで車で行って、そこから八方池を経由して唐松岳頂上まで登り4時間、下り時間半の登山。紅黄葉見物が主体の八方池までの計画でしたが、八方池到着が9時半と時間に余裕があったのと、当日のあまりの天気の良さに頂上まで行ってしまいました。10日前には悪天候のため隣の白馬岳では遭難があった時期で、その時の雪が丸山ケルンあたりから上には残っていて景観的には楽しめました。黒菱平あたりが、紅黄葉の見頃でした。
18日/小谷村の雨飾山の荒菅沢まで。登り2時間、下り1時間半の登山。紅黄葉の見頃は荒菅沢まで。鎌池の紅黄葉ともども盛りでした。例年20日近傍が良いようです。
19~20日/山荘の手入れ
21日/湘南高校の同級生が山荘へ来たので彼らと再度、雨飾山の荒菅沢まで出かけました。この時は前日の雨で登山道がぬかるんでいたのと女性がいたので登り3時間下り2時間半の登山。東京から来た仲間にとっては、普段経験したことの無い登山道からの紅葉狩りでした。
22日/新たに加わった仲間も交えて志賀高原経由、秋山郷への紅葉狩り。白馬から車で往復270kmのドライブ。奥志賀高原、秋山郷、雑魚川の紅黄葉、真っ盛りでした。
23日/小谷の鎌池へ紅葉狩り。嘆賞した後、彼等は東京へ帰って行きました。白馬を基地にすると長野の名のある場所への紅葉狩りが私の体験のように楽しめます。山国だけあって標高差もあるので紅葉の盛りにばらつきがあります。また、車やロープウェイなども使っての見学とは異なり、自らの足を使った楽しみ方が出来る魅力もあります。東京から来た同級生も、箱根や日光での紅葉狩りとは違った体験に喜んでいました。夜は同級生という事で、普段の生活を忘れ青春時代に若返って、皆で持ち寄ったアルコールを入れながら歓談を楽しみました。

季節相応に、冬は雪春は花夏は登山と高山植物の花々を核にこの種の会をやっています。(N.K氏)

2007-03-13