みそら野別荘地の成り立ち
かつて、みそら野別荘地は、猟師やキノコ採り以外には人の寄り付かない原野でした。この北アルプス五竜岳に源を発する源太郎沢の上流域は広葉樹に覆われ、下流域は赤松が林立する深い原野だったのです。
昭和38年、白馬村から誘致を受けた大阪の帝塚山学院長森礒吉が発起人となり、有志を募って白馬綜合開発株式会社を設立し、白馬岳東麓原野の開発に乗り出しました。
当時の白馬村観光人口は、年間約16万人、白馬岳をはじめとする北アルプスの登山基地として、又、冬季は八方尾根スキー場、飯森スキー場を訪れるスキーヤーの基地として賑わっていたものの、一般の方々が長期に滞在するような状況ではありませんでした。
昭和39年東京オリンピック開会式当日に入社し、爾来40数年余に亘りみそら野別荘地の開発から販売、管理に携わってきた元社長池田光夫の回想により、当時の様子を窺い知ることが出来ます。
東京オリンピックで日本中が湧きたっていても、ここ白馬では、唯一、美ヶ原のTV中継サテライトから送られてくる画像はザラザラで、時に途切れ、満足に見ることが出来ませんでした。
国道は未舗装で、別荘地の見学バスは、東京から10時間、大阪からは17時間もかかりました。当時大阪にあった本社と電話連絡するにも、電話局に申し込んでから数時間後に漸く繋がり不便な思いを致しました。また、別荘地の開発作業は、まるで山仕事に出るようであり、今では隔世の感を覚えます。
第1次(16万坪)の開発もほぼ形が整い、昭和40年に開村式の運びとなりました。その後、昭和45年に第2次(3万坪)、昭和50年に第3次(8万坪)を分譲し、お蔭さまですべて完売いたしました。
第1次分譲は広い区画でしたが、第2次、第3次分譲は、若い世帯やサラリーマンにも気軽にご購入頂けるよう、小さめの区画設定にしましたので、コンセプト通りの広い年齢層のお客様にご購入いただけました。現在のみそら野別荘地の分譲数は1,300区画です。
開発当時は、別荘地としてのみ販売いたしましたが、長い年月の間には、ペンションが建ち、それに伴い、飲食店等の営業物件が建ち始めました。バブル期には投資物件として人気を博しましたが、その後、生活用住宅として、終の住まいとしてのニーズも増え、近年は、外国人(主として、オーストラリア、欧米諸国の方々)のご購入者も増えております。
このような変遷を経て、現在のみそら野別荘地は、別荘、住宅、営業施設が程よく混在して活性化しております。
みそら野別荘地建物概数
昭和40年 | 昭和45年 | 平成元年 | 平成3年 | 平成13年 | |
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別 荘 | 0 | 40 | 338 | 362 | 388 |
ペンション | 0 | 2 | 82 | 86 | 94 |
住 宅 | 0 | 0 | 28 | 32 | 100 |